世界かんがい施設遺産『寺谷用水』

世界かんがい施設遺産制度は、かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解醸成と施設の適切な保全に資することを目的に国際かんがい排水委員会(ICID)により創設された制度です。登録される施設は、建設から100年以上経過し、歴史的・技術的価値のあるかんがい施設で、日本では2022年10月現在、47の施設が登録されています。

農林水産省ホームページ

大河川から取水する広域かんがいシステムの草分け

寺谷用水は1590 年に完成し、大河川の治水と利水を一体的に行う革新的なかんがい技術導入の先駆けとなった。その技術は日本のかんがいの進展に大きな影響を与えた。

水路建設のプロジェクトは、農業開発を通じた経済成長を目指し、後に江戸幕府の将軍となる徳川家康の命で始まった。その命の下、家臣の伊奈忠次が企画し、代官の平野重定が工事を始めた。彼らは、暴れ天竜と呼ばれた天竜川の氾濫原から農地を分離する堤防とともに、幅4m、長さ12km の水路を建設した。水路は着手から完成まで2年を要し、新たに開田された400ha を含めて2,000ha の水田を潤した。

明治期の風景

現在の水路(大圦樋跡)

このプロジェクトでは、水路の取水口部における洪水の越流を避けるために、取水工は堤防と木製の函渠(圦樋)を組み合わせる形で設計された。函渠は堤防と交差させて埋められ、洪水から農地を守るため、堤防は函渠の上にも造られた。

完成後、大河川における堤防と函渠を組み合わせた画期的なシステム(関東流、伊奈流)は高く評価され、江戸幕府はそのシステムを国内の多数のプロジェクトに適用した。

また、平野重定は、73か村への円滑な配水と水路の維持管理のため、農民による組合「井組」を組織した。現在、「井組」は寺谷用水土地改良区や水利組合に継承され、400年以上にわたる歴史と共に、用水及び施設管理を継続している。

古図による寺谷用水「匂坂中村絵図」

A:圦樋全体図(土木工要録)/B:圦樋断面図(明治以前日本土木史)

農林水産省作成資料より