寺谷用水の歩み
1588年(天正16年) | 平野重定公 寺谷村地先に大圦樋(取入口)を建設 | |
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1590年(天正18年) | 寺谷〜浜部村までの大井堀(用水路)12km完成 | |
中泉代官所設置 | ||
1624年(寛永元年) | 平野重定公没す 久松山大円寺に葬る 右1 | |
1831年(天保2年) | 犬塚祐一郎による「社山疏水計画」立案 | |
1884年(明治17年) | 神田取水口完成 | |
1891年(明治24年) | 3月 | 寺谷用水組合設立 |
1906年(明治39年) | 3月 | 平野重定公300年祭 |
1909年(明治42年) | 5月 | 寺谷用水引用水量に対する県の意見書(毎秒200立方尺) |
1925年(大正14年) | 5月 | 寺谷用水誌発刊 |
1927年(昭和2年) | 8月 | 磐田用水期成同盟会創立(昭和8年に磐田用水速進同盟会に改称) |
1933年(昭和8年) | 5月 | 磐田用水水利権許可 500立方尺 |
1940年(昭和15年) | 10月 | 供養塔建立 右2 |
1944年(昭和19年) | 4月 | 磐田用水速進同盟会解散・磐田用水連合設立 |
7月 | 磐田用水通水式(浜松市天竜区二俣町) | |
1947年(昭和22年) | 阿蔵取水口完成 | |
1949年(昭和24年) | 6月 | 土地改良法制定 |
1950年(昭和25年) | 11月 | 磐田用水東部土地改良区設立 |
1951年(昭和26年) | 10月 | 寺谷用水組合解散 |
寺谷用水土地改良区設立 | ||
1952年(昭和27年) | 7月 | 農地法制定 |
12月 | 磐田市二之宮地区および於保村大原地区編入 | |
1954年(昭和29年) | 6月 | 天竜東三河特定地域総合開発計画閣議決定 |
1956年(昭和31年) | 7月 | 磐田用水土地改良区連合設立 |
10月 | 平野重定公350周年祭 | |
水窪町において水源涵養林育成事業を始める | ||
佐久間ダム完成 | ||
1958年(昭和33年) | 5月 | 秋葉ダム完成 |
1959年(昭和34年) | 1月 | 天竜川河状調査委員会発足 |
1963年(昭和38年) | 8月 | 天竜川下流用水事業促進期成同盟会発足 |
1964年(昭和39年) | 4月 | 国営天竜川下流用水事業採択 |
1966年(昭和41年) | 3月 | 磐田用水幹線改良事業完了 |
1967年(昭和42年) | 7月 | 天竜川下流用水事業推進協力会発足 |
1968年(昭和43年) | 3月 | 国営天竜川下流用水事業計画決定 |
1969年(昭和44年) | 4月 | 県営天竜川下流土地改良事業新規採択 |
5月 | 土地改良区 銅章受章 | |
1971年(昭和46年) | 3月 | 県営寺谷用排水幹線改良事業完了 |
1972年(昭和47年) | 11月 | 船明ダム着工 |
1974年(昭和49年) | 5月 | 土地改良区 銀章受章 |
7月 | 七夕豪雨による災害発生 | |
1978年(昭和53年) | 3月 | 土地改良区 金章受章 |
11月 | 掛塚土地改良区合併 | |
1989年(昭和54年) | 4月 | 天竜川下流用水共有財産の管理に関する協定書 |
7月 | 船明ダム通水式・竹山祐太郎翁胸像除幕式 右3 | |
1980年(昭和55年) | 1月 | 船明ダム共有財産の管理に関する協定書 |
1982年(昭和57年) | 4月 | 天竜川下流農業水利事業水利使用許可 |
1983年(昭和58年) | 3月 | 磐田用水土地改良区連合解散(連合誌「水と人」発刊) |
1984年(昭和59年) | 10月 | 畑かん(竜洋地区)編入 |
11月 | 国営天竜川下流農業水利事業完工式 | |
1985年(昭和60年) | 3月 | 国営造成土地改良財産管理委託協定書 |
国営事業所閉所式・記念碑建立 | ||
1986年(昭和61年) | 3月 | 新寺谷用水誌発刊 |
1992年(平成4年) | 3月 | 静岡県天竜川農業用水建設事務所閉所 |
1993年(平成5年) | 4月 | 天竜川下流用水協議会発足(協力会を改組) |
1994年(平成6年) | 1月 | 水管理施設およびパイプライン覚書 |
3月 | 県営かんがい排水事業「天竜川下流寺谷地区」採択 | |
1995年(平成7年) | 3月 | 寺谷コントロールセンター落成式 |
1996年(平成8年) | 3月 | 県営かんがい排水事業「寺谷上流地区」採択 |
国営附帯県営天竜川下流農業用水事業完了 | ||
1998年(平成10年) | 3月 | 土地改良区 農林水産大臣表彰受賞 |
6月 | パイプライン維持管理協定書 締結 | |
1999年(平成11年) | 4月 | 宮之一色パイプライン通水 |
5月 | 水源涵養林表彰(静岡県知事) | |
2000年(平成12年) | 4月 | 仿僧東パイプライン通水 |
5月 | 水源涵養林育成事業が全国植樹祭において表彰される | |
2001年(平成13年) | 8月 | 土地改良区 水資源功績者として国土交通大臣表彰受賞 |
10月 | 寺谷用水土地改良区50周年記念式典 | |
2003年(平成15年) | 4月 | 仿僧西パイプライン通水 |
8月 | 水源涵養林表彰(国土交通大臣) | |
2005年(平成17年) | 4月 | 市町村合併(磐田市・豊岡村・豊田町・竜洋町・福田町) |
前野・草崎パイプライン通水 | ||
2007年(平成19年) | 8月 | 天竜川下流用水の水利権更新(早期の田植え可能に) |
4月 | 尼ヶ崎南パイプライン通水 | |
広瀬パイプライン通水 | ||
2009年(平成21年) | 4月 | 小島パイプライン通水 |
岩田パイプライン通水 | 下野部パイプライン地区加入 | |
2011年(平成23年) | 4月 | 福田大原パイプライン通水 |
2015年(平成27年) | 3月 | 県営かんがい排水事業「寺谷上流地区」完了 |
2018年(平成30年) | 2月 | 水源涵養林(土地・立木)を取得 |
2018年(平成30年) | 3月 | 県営かんがい排水事業「天竜川下流寺谷地区」完了 |
2022年(令和4年) | 4月 | 水源涵養林表彰(内閣総理大臣) |
10月 | ICID世界かんがい施設遺産登録 | |
2023年(令和5年) | 10月 | 平野重定公400年祭 |
寺谷用水は約400年前に徳川家康の家臣平野重定公が、農民福利の基盤は水利の安定にありとして現在の磐田市寺谷地先に水源を求め、13kmの水路を開さくしたのが起源です。
毎年10月8日、重定公の命日に磐田市加茂の大円寺において寺谷用水役員、総代、県、磐田市の関係者等を招いて例祭が執り行われています。
大円寺の西側に供養塔が建立されています。
これは寺谷用水組合管理者(現在の理事長を指す)平野睦則氏の生前の功績を顕彰するため昭和15年に建てられました。
その後、功績のあった大橋亦兵衛・鈴木正一両氏の名を追刻し現在に至ります。
※10月例祭の当日に3名の功績者の供養祭も併せて執り行います。
平野 睦則(ひらの ちかのり)
富岡村加茂東出身で富岡村長、県議会議長を歴任。その間大正8年から19年の永きにわたり寺谷用水組合管理者として運営にあたられた。
大橋 亦兵衛(おおはし またべえ)
【S23.10月追刻】
井通村小立野出身で井通村長、県議会議員、衆議院議員を歴任。寺谷用水組合と旧社山疎水組合を統合し磐田用水連合を組織するまで期成同盟会長としてその任にあたられた。
鈴木 正一(すずき しょういち)
【S43.10月追刻】
富岡村中野戸出身で富岡村長、県信連理事、県議会議員を歴任し、その間寺谷用水組合管理者として手腕を振るわれ、磐田用水土地改良区連合初代理事長として10年間その任にあたられた。
磐南一帯の農民の長年の期待にこたえて建設された船明ダムの左岸記念公園には竹山祐太郎翁の胸像が建設され、昭和54年7月19日通水記念式典当日に胸像除幕式が執り行われました。
翁は地元(磐田市見付)出身の政治家で(建設大臣、後に静岡県知事)ダム建設にあたり全身全霊を傾け努力されました。
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